はたらく魔王さま!15巻 英雄が世界を救う動機は
マックが苦戦している中、マグロナルドは(ry
などということはおいておき、12,13巻から丁寧に描かれていた「英雄が本当に世界を救う必要があるの?」という問いに対して、この巻でわりと決着がついてしまったのかなぁという気もする巻でした。
あとはエミリアとちーちゃんのバトルをも見守るのみですね!笑
英雄が世界を救う動機は
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まあいつものごとく、ペトロニウスさんの記事に対して、はたらく魔王さま!はどういう構造をとっているか、ということを自分なりに考えている記事となっております。
13巻においてライラは再び世界を救ってほしい!ということを英雄の力を持った魔王とエミリアにお願いします。
それに対して、一度英雄としてきっつい思いをしたのに、何で再び世界を救わなきゃいけないの?という問いが13、14巻のテーマですよね。
13巻、14巻においては魔王とエミリアは以下のような状況になっています。
・エンテ・イスラの人間は滅びの道をたどるかもしれないが、自分たちは地球にいるから害がない≒日常を継続できる
・まおーさまは悪魔サイドなので特に問題なし
・エミリアはエンテ・イスラに居場所を作ることが難しいのに、わざわざその人達のために、戦いに身を投じる必要はあるのか
・延々と過去の因縁を話されたけれど、直性関係がないし、影響もない
特にはたらく魔王さま!という作品は「日常もの」の作品であり、その日常を継続できる状況で、特に自分にとって害がなく、むしろ世界を救うとその世界において居場所がなくなる中で、何で世界を救わなきゃならんのか、ということですよね。
この15巻では、外野、ちーちゃんとかを含めてものすごく強調されています。
英雄と呼ばれる力を持っていたって、一人の人間です、ということです。
今回の魔王の正社員騒動も、その日常を続けていける宛があるよ!という象徴かなと。
(いやまあこの日本において飲食店の正社員がいいかどうかはさておき…)
ペトロニウスさんの記事を読むと、なるほど!と思うのですが、「勇者のお師匠様」ではこの世界を救う必然性が非常にうまく描かれています。
要するに世界を変革しないと、ウィンとレティ自身が幸せにならんよね!ということです。
はたらく魔王さま!の魔王とエミリアはそういう状況にないわけですね。
だから特に世界を救いません、という結論になりそうだったわけです。
と、まあそこで終わってしまうと物語は動かないため、結局はアラス・ラムス(娘)のため!というところに落ち着くわけです。
理由はいつだって身近なところということですね。
構造的には勇者のお師匠様的な、設定的な必然性から見事に積み上げられたほどではないとは思いますが、この「はたらく魔王さま!」のという作品は、その問題提起を丁寧にしたところ作品なのかなぁというふうに思います。
「英雄の力を持っていても、それだけでは世界を救う理由にならない」ということですね。
勝手にお前らの都合を押し付けるな!俺が動く理由は俺が決める!つーことです。
例えばこの問いに対して、「この素晴らしき世界に祝福を!」というのは、すげえチート能力を与えられなかったこともありますが、基本的に主人公のカズマはぐーたら過ごしています。
魔王に対抗しなくても、能力的に全然暮らしていけるもん、ということですね。
ちーちゃんの勝利はあるのか
つうことで残すところは、超人ちーちゃんの勝利はあるのか、ということになるのかなぁと。
いや私はエミリア派なんですけどね、笑
ちーちゃんはエンテ・イスラに行き来できるようになっちゃいましたし、元帥のポジションを確保していますし、人間と、長寿命との間の恋、ということに関しては、ちーちゃんは直接聞いていませんが、サリエルとノルドが語っています。
要は腹くくって、努力はするがあとは知ったこっちゃない、という感じですよね。
距離的な壁・立場的な壁、が大きく立ちはだかっていたちーちゃんにも芽が出てきたのかな、と。
ただまあエミリアは大きなアドバンテージとしてアラス・ラムスがいますし、何よりエミリアには魔王しかいないんですよねぇ。
エミリアと魔王以外に同格な人なんかいないですし、もうガッツリ救済されちゃてます。
ちーちゃんはこの先、ちょっと物足りなくなるかもしれませんが、魔王じゃなくてもいい人は見つかるんじゃないかなとも思います。
それなので願うことならエミリアに頑張って欲しいわけですよ。
あのエメラダに対する自白のシーンがとてもかわいくてよかったです!