ゆるりわんわんお

2019年以降は主ににじさんじのおすすめ配信を記録しています。

「出雲霞」の美しい幕引き。「出雲霞」であった人がこれから楽しい人生を過ごせますように。

前回の出雲霞さんの引退発表の際に書いたやつは下記を参照ください。出雲霞さんとはどういう存在か、ということを簡単にですが書いていますし、参考リンクも乗せてあります。
tatami571.hatenablog.com

p.s.出雲霞を愛する人たちへ

p.s.出雲霞を愛する人たちへ
 にじさんじとしては本当に初の演者本人による後がたりが行われました。バーチャルの創作物史として歴史に残る名配信だったと思います。「メタ」な話がタブー気味になっているライバーという状況の中で、作者視点で創作物として「出雲霞」の後語りをしていくれたのは本当に貴重だったし、その内容にめちゃくちゃ衝撃を受けました。ここまでバーチャルの物語として美しい幕引きがあったのかと。出雲霞さんの人生そのものの美しい軌跡を知ることが出来ました。
なおこの記事では本人も一人称困っていましたが、基本的には演者さんのことを出雲霞さん、物語のコンテンツそのものを「出雲霞」表記とさせていただきます。

自分の過去をコンテンツとして昇華させる、クリエーターとしての魂の叫び

後がたりの最初は、なぜにじさんじ受けたのか、ライバーになったのか、という動機の説明でした。バーチャルは、現実の演劇よりもさらに、現実の自分に引っ張られず、理想の自分、成りたい自分になれる場所ということを動機として入ったそうです。これはコウもどこかの配信で、演者側にとってのVTuberをこのように定義していた記憶があり、比較的メジャーな動機、VTuberの特徴ではあるのかなと思います。しかしここで、実は今までのストーリーは自分の実体験を元にしていて、自分の実体験をコンテンツとして昇華したいがために、一番何でもやれそうなにじさんじに入った、ということでした。いやこれを聞いたときマジで衝撃を受けました。「出雲霞」のストーリーはかなり重いもので、平凡な人生を送ってきていている私からしたらこれが実体験を元にしたものなんて、思いもよりませんでした。TLを見ると考察が深い人の中には察している方もいらっしゃったようですが。以下、出雲霞さんの言葉を中途半端に引用するのはもったいないと思い、配信より書き起こしさせていただきました。熱の入った、クリエーターとしての独白があまりにも美しかったので、ぜひとも本編をお聞きください。

出雲霞というストーリーというものは、完全なる創作ではないです。実体験を元にして作っています。出雲霞そのものが私、の過去の姿であり、その写し鏡であり、これは再三ストーリでも伝えてきたんですが、まるごとだいたい自分の実体験だし、自分の考えてきたことだし、なんでしたら出雲霞としてみなさんとしゃべっていたときは当時の自分として戻っている感覚で接していたので、なので、なんかロールプレイって言われるのも不思議な話で、ロールプレイとかキャラクターを作っていたと言うよりは、当時の自分に戻って、自分という感じだったから、なんかもう一回やり直していたという感じだった。なぞっていたというか、だからなんか、すごいね、自分だった。自分のままだった。そう、だったなと思います。追体験をさせてもらいました。(中略)そもそもですね、あんまりね、いい環境で育ってきてないんですよ。めちゃくちゃひどい環境だったか、と言われるとそうでもないんですけど、自分にとっては結構自分そこそこかわいそうだな、そういう感じの環境で育っていて、自分自身は出雲霞とは違って、救いの手がきたわけでも、大人数の人と相談できたわけでもないんですが、現実は何もなくとも意外と時間は流れていくもので、当時は本当にちょくちょく漏らしていたけれど、小学校を卒業するまで頑張って生きてみよう、中学校を卒業するまで頑張って生きてみよう、高校を卒業するまでは頑張って生きてみよう、なんか良いことあるかも、みたいな感じで思いながら、まあね皆さん御存知の通り、自分で自分を慰めて自分で自分を守るように生きてきたわけですけれど、なんか別にいいことなくても、意外と子供って大人になれちゃうんですよね。意外とね。なれちゃうんですよ、意外と、別に劇的なドラマチックな出会いとか、助けてくれる友達とか知り合いとか居なくても案外人って一人でも生きていけちゃうんですよ、だましまだしね。でもなんだろう大人になったときに気づいたんですよね、なんか、やっとこう子供っていう立場がなくなって大人になって、ある種自分を縛っていた家庭環境とか、いろんな柵から開放されて、自由になれたわけですけれど、いざ自由になってしまうとどうしていいかわからないんですよね。自由になって、これから自分はどんなものにでもなれるし、変なコンプレックスとかも抱えずに生きていけるけれど、でも、18年間、自分を縛ってきた環境の結果生まれしまった、皆さんご存知のとおりね、出雲の性根というか自分の歪んだ性根とかちょっとひねくれた価値観とか無くならないわけですよ。環境変わって、でも見る目も変わるし、なんか辛いことがあってもまあそんなことあったよね、みたいなふうになるけれど、自分を構成している根底部の部分は何も変わらないんですよ。根っこの部分は。どうしよう、と途方にくれたわけですよね。何ができるかな、え、どうすればいいんだろうと。どうもしなくても多分生きていけるんですよ。意外と、意外となんか18年間生きてきたみたいに、それとなく過ごすだけでも多分どうにかなれるし、気がついたらたぶん普通の人になれている、と思う。たぶんね。けど、それだとその18年間が本当に耐えるためだけだったのかな、みたいな、無駄になっちゃうのかな、無意味になりそうで怖いな、って思ってたんですよね。なんか、辛くて一生懸命それでも耐えて頑張ってきたはずなのに、それがだんだん何でもなくなっちゃう、そんなことあったよね、で終わっちゃうのはやだな、自分だからこそできることがしたいな、意味があるものにしたいな、18年間あったからこそのものにしたいな、と何か考えたときに、これはVTuberで自分の実体験をストーリにするってことは、間違いなく自分じゃないとできないし、それを残すことによって、たとえもし私自身が今後大人になって、子供のころ辛かったなー、と思っても、忘れちゃったとしても、それが薄れちゃったとしても、それが形に残るから、残したいし、なんだろうな、自分にとってただ辛かっただけの過去だったけれど、今となってもね、辛かったけれど、耐えるだけだったけれど、もしかしたら誰かの別のものになるかもしれない、と。なんにもならないかもしれないけれど、でも楽しかったでしょう?でも、今、実体験の話なんです、みたいなふうにネタバレしをされてちょっとぐっちゃぐちゃになっているかもしれないけど、でも出雲霞ってVTuberがストーリーやっているの見るの楽しかったでしょう?実際、追っててどうなるんだろうみたいな、いろいろ思ったでしょう?なんかそういうある種、他人の食い物に成りたかったんだよ、自分は。自分の人生を誰かに食べてほしかったの。誰かに消化してほしかったの。コンテンツとして昇華もしたいし、これ言葉遊びね、コンテンツとしても昇華もしたいし、誰かに食べて消化してほしかったの。誰かの何かになってほしかったの。そうだから、満足なんですよ、自分としてはね。自分としてはすごく満足。意義のあることができたな、って。もうこれをねやりきっただけで、自分の人生ね、無駄じゃなかったな、意味のあるものに出来たな、って思う。

いや、この独白、マジでクリエーターとして美しすぎます。自分過去を消化させたい!という確固たる意思を感じました。これ以上語るのが野暮とすら思えるので、繰り返しになりますが、配信を聞いてほしいです。case02の過去の追体験のときに過去の自分と一番重なっている部分があって、過呼吸になりかけていた、ということを聞いたときは、本当にクリエータとして魂を掛けているんだなということがめちゃくちゃ伝わってきました。

【出雲霞】Record_day_case02【にじさんじ

【出雲霞】Record_day_case02【にじさんじ】
 クリエーターとして自分の過去を消化する、ということ自体はよく取られる手法ではあると思うのですが、それを新しいコンテンツである、VTuberというものを使って、完結まで、自分で満足できるまでやり遂げたということはものすごく偉業だと思います。そしてここからさらにひとつ、衝撃的な事実がありました。

双方向性の劇場型物語 結末は永遠の子供であることから、現実を生きることへ

そして2個目の衝撃は、今のライバーを引退する展開とは異なり、実は出雲霞さんが当初考えていたプロットは、現実の出雲霞は死んでもらって、AIであるcase05がバーチャルとして永遠になり、それでライバーを続けていくというものでした。しかしなぜ当初の選択を取らなかったのかと言うと、ここが「出雲霞」のすごいところだと思うんですが、当時のリスナーの空気が、現実の出雲霞さんを捨てて、「出雲霞」としてバーチャルで生きることは許されないというところになっていたことを感じたそうです。つまりリスナーとの双方向性の結果から、当初考えた結末自体が変わっていったということです。我々リスナーはライバーとして彼女が円満に続けている道を断った一方で、でも現実の出雲霞を大切にしてほしい、という願いは叶える結果となりました。これを聞いて、リスナーとしては我々自身が続けてほしかったライバーとしての道を閉ざしてしまったのか、と凹む気持ちにもなりました。しかし改めてなぜその決断をしたのか、というところを下記のようにまとめて語ってくれていて、配信から書き起こさせていただきました。

自分が自分の過去と折り合いをつけるための物語。それを初めて知ったとき、なんて素敵なんだろうと感激した。そこでは年齢も性別もリアルも関係ない。誰でも成りたい自分になれる。そこでならくそったれな自分のリアルも誰かのなにかになれるかもしれない。そんな夢を見た2年前の今日、大嫌いなリアルの自分をバーチャルで殺す自分のための物語が始まった。そしてバーチャルの霞が生まれた。本当にまたこういう形で終わりたかった理由は、再三その過去を切り離したいということもあるんだけれど、ある種、本当はね、ほんと最初はバーチャルの自分をつくることで、ずっと子供大人のままでずっと居付けたいという目論見だったけれど、でもなんかみんながすごいめっちゃなんかハッピーエン厨がすごいめっちゃボコボコボコボコボコボコと土足で踏み込んできた結果、まあある種踏ん切りをつけるために、ここにおいていこうかなって思ったんだよ、今はそう思っている。これからはこれはストーリー上の20歳の出雲霞に言えることだし、そんなモデルになっている自分に言えることでもあるんだけれど、これからはちょっともうちょっとだけだけど、前向きに生きていこうかなって思う。過去の辛かったこととか、そういうことはもう全部今の全部出雲霞に上げたのね。それはもう出雲霞の物語になっちゃったから、ある種もう私とは切り離されて、今までは出雲霞は私だったけれど、もう私じゃなくなるから、出雲霞は出雲霞、これから生きていく現実の私は現実の私、っていう考え方で切り離したいと思いますので、だからこれからもうちょっと根っこの部分とかは変わってないけれど、あまり振り返らずに、というか振り返らないわけじゃないけれど、固執せずに、もうちょっと前向きに生きていければいいと思います。

活動を通じて、当初固執していた永遠の過去になることを捨てて、ちょっと前向きに現実を生きていこうと考え方が変化したことって、ものすごい尊いことだと思います。最初に彼女の過去に対する情念を聞いていたから余計にそう思えます。彼女の物語を見続けてきたものとしては、引退してしまうこと自体はとても寂しいですが、こうやって活動を通じて、少しでも前向きになってくれたことが何よりも嬉しく思います。私個人の考え方としては、過去に固執するよりも、今を生きてほしいと思っているので、この選択が正解かどうかは現時点じゃわからないですが、とても素敵な選択じゃないのかなと思います。概要欄の「『出雲霞』は私"でした"」という言葉は、引退するから過去のものとするわけではなくて、彼女の、「出雲霞」を過去のものとして置くという決意そのものでした。
 自伝を自分自身が演者として演じて、さらにそれをリアルタイムで双方向性を持った結果、自伝にも関わらず、当初予定してた結果と異なる結果となったことは、今までに類をみないコンテンツだと思います。出雲霞さんは「出雲霞」という物語をやりきり、ここまできれいな形で、本人の言葉を借りるなら、きちんと「連載終了」をさせたというのは偉業以外の何物でもないと思います。

ライバーと物語の狭間で クリエーターとしての矜持を貫く

 私は前回の記事で出雲霞さんの記事のテーマとして、「ライバーと物語の狭間で」というところを上げたんですが、「p.s.出雲霞を愛する人たちへ」で答えをいただいたかなと思っております。霞ちゃんの場合は本当に配信活動がメインではなくて、ストーリーそのものがクリエーターとしての魂を、己の過去を賭けたテーマだということが伝わってきました。それならば物語の完結を取るっていう選択肢は納得をせざるを追えません。引退のときの「出雲霞」を全文をこの事実を知った上で読むとかなり見方が異なってくると思います。
 ライバーと物語との苦悩は改めて後がたりでも言っていて、にじさんじの中で他の人とスタンスが違うことは思い悩んでマネさんにもヘラっていたことはあったそうです。やはりそこのバランスというのは物語をライバー活動の中に組み込む上でも最も難しい部分なのかなと思いました。ただにじさんじのような生配信が主体の中でこうやってストーリーを完結させたことは本当に価値があり、いろいろな形があるにじさんじの中でも一際輝くコンテンツに昇華となったといっていいと思います。さらにこれでにじさんじの多様性が増したと思います。
 あと言っておきたいのが、私に限りませんが、あの声帯変更配信のあたりが引き金だったんじゃないか、と思っていた人が多かったと思いますが、逆にあれはもうやめるって決めて吹っ切れたからやってみようと思ったらしいです。もちろんいろいろ言われること自体は嫌だったということですが、それを過去と同じように創作物として昇華させてやろう!と思ったらしいです。いやあ実にクリエーターとして素晴らしい性格をしていると思いますね!(褒めてます、コロコロされて嬉しいまである)。正直このへんの殴り合いはもっと見てみたかった気持ちもありますが、配信中に行っていましたが、どこまでも出来てしまいそうというところがあったみたいなので、今度何か創作するときは、このへんのバランスをうまく見つけてやってほしいなと。
 あとめちゃくちゃ良かった話として、ライバーとしてのエピソードとしては、最初の一年間は過去の嫌なことをコンテンツとして作っていたからネタに困らなかった。だけれど2年目は過去のストックが無くなって、さらにライバー活動では嫌なことが何もなくて、スランプに陥っていて、クリエーターとしてダメなのかなとも思ったと。これを聞いたとき、過去に重いものがあっても、今嫌なこと無く楽しく生きられてるなんて、めちゃくちゃいいことじゃないかと涙が出てきました。SEEDsの話をしているときは本当に楽しそうで、最後の質問では「SEEDsメンバーに会えて幸せだった?」ということに対して「幸せだったよ。SEEDsじゃなかったらここまでやってこれなかったと思う。誰一人欠けてはダメだったと思う。SEEDsはときに支え合って生きてきた」なんて言葉で締められなったら泣くしかないですよね。ただだからこそ、彼女の中でこれ以上ライバーとして続けてしまうと、クリエーターとしていられなくなってしまうんだろうな、というところがあったのでしょう。だからこそライバーとしてそんな楽しい時間をすごしていてもなお、彼女は自分の過去をコンテンツとして昇華し、物語を完結させることを選んだというのは、本当に尊いことで、クリエーターとして素晴らしい矜持を持っていたと改めて思いました。

end future

彼女は、この創作活動を通じて、当初志していた過去として永遠に生きるのではなくて、過去と決別し、現実世界を少しだけ前向きに生きていくことを選びました。そんな彼女の、「出雲霞」であった人がこれから楽しい人生を過ごせるよう願ってやみません。本当に素敵な物語をありがとうございました。




以下語りたいことを語る

まとまったテーマは上に書いてきれいに終わりたかったので、後は、上記のまとめに入れるのが難しかったり、まとまらない話をつらつらと語ります。語りたいだけです。

ENDROLL  歌で綴る物語の終わり

《IzumoKasumi》Project ENDROLL LIVE【出雲霞/にじさんじ

《IzumoKasumi》Project ENDROLL LIVE【出雲霞/にじさんじ】
「物語」としてはこれが文字通りENDOROLLでした。個人的にライバーの物語と歌ってめちゃくちゃ相性がいいと思っています。配信という形体で、ライバーさんの物語そのものを日常的に見てきているので、めちゃくちゃ歌詞が染みるんですよね。そして今回、歌で出雲霞の「ENDROLL」を綴るというはめちゃくちゃ美しいかったです。しかも物語の登場人物、それぞれのAIたちが歌い上げていて、本当に集大成のひとつでした。残念ながら私自身は霞ちゃんが歌っていた曲を聴いていたわけではなかったので、その場で歌詞を調べながら見ていたのですが、めちゃくちゃ良い選曲でした。「アディショナルメモリー」や「ERROR」なんかはマジで「出雲霞」に相応しいENDROLLだよな…霞ちゃんがじんさんの曲を歌っていましたが、ちょうど同時期に勝くんがRainDropsで、歌と物語をリンクしてクリエイトしているじんさんに曲を提供してもらって歌っているというのは、似た文脈同士が交わって新たなものが創造されている感じがあってとても良いです。素敵なENDROLLを本当にありがとうございました。

CURTAIN CALL 大団円の舞台挨拶

10万人&完結記念感謝会~AIはお寿司を食べます~【出雲霞/にじさんじ

10万人&完結記念感謝会~AIはお寿司を食べます~【出雲霞/にじさんじ】
「出雲霞」としてのラストの配信は10万人記念のお寿司を食べつつ、それぞれのcaseたちがリレー形式でリスナーとしゃべるという、物語のカーテンコールと呼ぶに相応しい配信でした。最初はcase05のコピーがリスナーとの最後の雑談に興じました。アンテの話や未だ出ていないおなえ?のグッズの話など。グッズの告知ができないっていうのが唯一の心残りとのことで、残った二人はいちからさんに催促お願いしますよ!!!他のcaseの話では、個人的には19年3月で途中退場した、いーちゃんの後語り、あの50:50の選択肢の愚痴や着れなかった衣装をチェンジして楽しんでいたのはよかった。そして満を持して、1年ぶりにcase05のコピーではなくオリジナルのほうも出ました。打上花火では実はコピーではなく途中オリジナルんの出雲霞が歌っていたということも明かされました。全然気が付かなかった…コピーのほうが自分が憧れだったライバーさんとガッツリ交流していたりして嫉妬したきもちがもあったとか。久々に声が聞けてよかった。最後はライバーをやっている05のコピーがもう一度出てきました。後がたりでも語っていますが、ストーリーとライバーを両立している中でも、配信活動は楽しかった、といってもらってよかったです。そして個人的にはこっちが爆弾だったんですが、活動初期に恋愛話は見えるところでしないで、ということを言っていましたが、ここで「出雲に好きな人いると思います?」って公式からぶっこんできて、私はビビりましたよね。コイツ、俺らを手のひらで転がしてやがる…!と。実際霞ちゃんの場合は、我々のことをすべて見た上でなんかやってそうな雰囲気を感じていたので、この公式発言でよりその思いが強くなりました。いやあくまで私がそう勝手に思っているだけですよ?で、あとは本人の爆弾発言としては胸のサイズのお話でした。ラストのラストでここにぶっこんでくるかーという感じではありました。桃ちゃんに対する反応は大好きだったよ。これが締めていいのか、と思いましたが、ライバーとしての「出雲霞」はこれで「おーしまい」と大団円で終わりました。本当にありがとうございました。

AIという概念を選択した意味

これもすげーなって思ったんですが、「出雲霞」という企画は出雲霞さんが持ち込んだもので、アバター自体の最初の設定は当然AIというものはなかったそうです。そしてAIという概念を選んだのは、わかりやすく年を取らない概念がほしかった、ということでした。本人のテーマに対して非常に必要なものだったんだなと。別に幽霊でもよかったそうですが、そしたら語部さんがもしかしたら生まれてなかったかもしれないし、あるいはチャット欄であったように配信する幽霊と配信しない幽霊に分かれたかもしれないというのはそれはそれで面白かったなぁと。
 これを聞いて、同じSEEDsに同じく永遠の13歳として物語を背負った勝くんと、永遠の中学生をやることを目指して活動をしているコウが揃ったっていうのはすごい奇跡だよなぁと…大多数のライバーさんが、ライバーの年齢というのは見た目だったりあるいはその設定に対するギャップなどの自身の性格との化学反応として主に用いているのに対して、「中学生」という年齢対してこれほど意味を持たせて活動している人たちが同期としてそろったのは本当にすごいことだと思います。実際、彼らが揃ったときは本当に中学生の同級生!って質感が本当にすごかったんですよ。ただまあやっぱりおなえがもう揃わなくなってしまうのは、めちゃくちゃ寂しいですね…

おなえの集大成は打上花火とかSEEDsの話とか

 おなえ関連でいくと、引退発表してからはおなえのコラボはありませんでしたが、霞ちゃんとしては打上花火がおなえとしての集大成だったそうです。おなえといえば、「花火」がひとつのテーマとなんで、それが集大成ってのはもうエモだよなぁ…動画を見返すと、最後、AI衣装の霞ちゃんがコウと勝くんと離れて一人映っていたんですよね…見返したらめっちゃくちゃ露骨でした…おそらく絵は霞ちゃん自身のものだと思うんですが、それも集大成の一つだったんだろうな。

【おなえどし】『打上花火』歌ってみた【出雲霞/卯月コウ/鈴木勝/にじさんじ

【おなえどし】『打上花火』歌ってみた【出雲霞/卯月コウ/鈴木勝/にじさんじ】
 それ関連でもう一ついうと、おなえには3月には引退することを知らせていて、Painterは勝くんが主催したのもそういうことだったようです。霞ちゃんが配信で語っていましたが、マジで聞き返すと本当に露骨に霞ちゃんの歌詞分けが主役ポジションでした。一緒に歌詞分けしてたドーラ様とか絶対気づいていたんじゃないかな…勝くんはにじさんじの中でも真・清楚枠で隠し事とか出来ないんで、バレバレなんだろうなぁ。下記のまとめにあるように、Painterの振り返りを見返すと、マジで全く隠せてないよな…マジで察しのいいリスナーはPainterの歌詞分けと勝くんの振り返りで気づいたんじゃないだろうか。引退を引き止めたのは勝くんとリリちゃんだっったというし、そのときもカレーのときにも泣いたそうだし、勝くんは本当にいい子だよな…

【#にじさんじSEEDs1期生出身】Paintër【2周年記念/歌ってみた】

【#にじさんじSEEDs1期生出身】Paintër【2周年記念/歌ってみた】

Paintërに込めた歌詞分けの秘話とカレーオフコラボを話す出雲霞【にじさんじ切り抜き/出雲霞・鈴木勝】

Paintërに込めた歌詞分けの秘話とカレーオフコラボを話す出雲霞【にじさんじ切り抜き/出雲霞・鈴木勝】
 あとコウの再会ってたぶんここまで引退が引っ張られるとは思っていなかったんでしょうが、少なくとも選曲した時点では確実に知っていたんだろうな、と勝手に思っています。あくまで勝手にですよ?それが選曲理由ではないかもしれませんが、少なくとも何か思うことはあって、歌ったんじゃないかなと思わずにはいられませんよね。もちろん本人に聞くのは野暮だし、無限の解釈を楽しむものですが。
 また他の方たちは、彼女のスタンスを何となく察していて引き止めなかったと言うし、それが良い悪いではなく、それぞれらしいですよね。カレーのときにはSEEDsのみんなにも引退することは周知されていたということですが、変わらず接してくれて、特に湿っぽくもなく、楽しく遊んだそうで、SEEDsの仲間、戦友感は本当に最高です。SEEDsって谷間の世代でチャレンジ集団だったので、霞ちゃんと同じような何かやってやる!っていう思いを携えて集まった仲間がいて本当によかったよな…開始2ヶ月ちょいで13人で自主的に24h企画をやりきるって本当にすごかった。私がにじさんじにここまでハマったのは、2018年8月にVtuberを見始めて、SEEDs24hに出会ったからなんですよね。霞ちゃんといえば社さんのモノマネ連発に対してマジで全く響かなかったのがそういえばめちゃくちゃおもしろかったなということが最初の思い出かもしれません。本当にSEEDsでいてくれてありがとう。

#SEEDs24h 笑ってはいけないにじさんじSEEDs

#SEEDs24h 笑ってはいけないにじさんじSEEDs

ビルマーン!

これには笑い話として触れたいですが、出雲霞さんはオーディションの動画はこれが私の半生です、っていいながらデビルマンMADを作ったそうです。後半はにじさんじのオタク語りだったそうですが。いやそんなもん渡されたら、即合格か持て余しそうで断るかのどっちかですよね。にじさんじが、本当に自由な、何でもやらせてくれる、ライバーのやりたいことがやれる会社で本当に良かったなと思います。「p.s.出雲霞を愛する人へ」自体も、ちゃんと許可をとったということですが、まあ内容が内容だけに許可が出ないどころか、これを出さなかったらバーチャルというコンテンツとしてめちゃくちゃ損害だったと思うので、本当にその辺含めていちからさん、にじさんじさんはありがとうございます。

ストーリー配信のいろいろ

 ストーリー配信のいろいろをばばあーって書きます。
 まずええーって思ったところでいうと、実は当初は露骨にストーリー配信をするつもりはなくて、どちらかというと普段の配信から匂わせて、実は…?的な、意味がわかったら怖い系のスタイルにしようとしていたそうです。それが勝くんの、あの劇場型配信を見てすげえ、と思って切り替えたらしいです。勝くんのあの劇場型スタイルにすごい魅せられていた人は、SEEDs好きのリスナーの中に多い印象がありましたが、まさか最も近い場所にいたとは…
 あと手法的なところですげーなって思ったのは、中には台本をほとんど用意せずにリスナーとのやり取りの中でストーリーを進めていった、という回もあったそうです。本当に双方向性で作り上げてきたストーリーなんだなと。一方で15話の逆は台本を用意して、逆から追っていっても意味が通じるようにしたということで、すごいなーと。本人が言っていた会心の出来という、リスナーを共犯者にした15話、16話は本当にみてほしいです。

【出雲霞】夕やスミ 第15話「逆」【にじさんじ

【出雲霞】夕やスミ 第15話「逆」【にじさんじ】

【出雲霞】夕やスミ 第16話「亡」【にじさんじ

【出雲霞】夕やスミ 第16話「亡」【にじさんじ】
 そして上記でも触れましたが、ストーリーとライバーの両立についてはやはりずっと悩んでいたそうです。配信中に結構ここを触れているので、ぜひ聞いてほしいんですが、うまくストーリーとライバーの両立を模索できずに悔しい、クリエーターを優先してしまった、と言っていました。ただし一番最初の気持ちを優先して、今の自分としては一番いい選択肢をとった、ということで後悔はないということでした。少し構造的な話になってしまいますが、どうしてもストーリーと普段の配信の関連を取るというのは難しくて、やればやるほど、ライバー活動とストーリーに矛盾というものが大きくなってしまうというのは避けられないとは思っています。だからこそ、出雲霞さんはそこの矛盾がこれ以上大きくならないタイミングで、ライバー引退を選択し、物語を物語として残そうと思ったのでしょう。
 ただやはり一方でこの手法って本当にバーチャルならではで、めちゃくちゃおもしろいなとは思っているので、出雲霞さんのこの一連の美しさを見て、だれかチャレンジしないかなと願っています。普段活動していると思っていたら、背景に実はすごいストーリーがあって、ライバー活動とリンクしていた、なんてことがあったらめちゃくちゃ楽しいじゃないですか。このへんいま唯一ライバーとして明確にストーリーを持っている黛くんは、ここのバランスをすごいうまくやっていると思っています。3D配信で実在性が強くなるところにストーリーをぶっこんでくるのは本当にうなりました。さらにクリエーターとして物語をやり切った出雲霞さんは、下記のような特大の祝福であり、呪いでもある言葉を送っています。こんな言葉は「出雲霞」にしか言えないし、言われちゃったらもう黛くんは「黛灰」を全うするしかないですよね。楽しみにしています。

最後のゲームが終わり、お互いに思いを伝える黛灰と出雲霞【にじさんじ/切り抜き】

最後のゲームが終わり、お互いに思いを伝える黛灰と出雲霞【にじさんじ/切り抜き】
特大の祝福と呪いを残されたもちろん「出雲霞」ような終わり方自体は出雲霞さんにしかできないとは思いますが、彼女が言っていたように、繰り返しになりますが、「黛灰」を全うを期待しております。

そして「出雲霞」はリスナーに存在を委ねられる

出雲霞概念解釈発表会

出雲霞概念解釈発表会
本当はここもメインで触れようと思っていたのですが、ちょっときれいに締まらなさそうだったので、こちらに書きます。
 一連の流れの中で最後、「出雲霞概念解釈発表会」において、「出雲霞」はリスナーの手に委ねられました。彼女自身が言っていましたが、AIの出雲霞は、リスナーに観測されることで、存在するもので、演者の彼女がいなくなったあとでも、我々が観測する限りは居続けるということです。確かこれもコウが言っていたと思いますが、ファンアートで書き続けられる限りは、たとえ引退してもその存在は消えない、ということも言っていました。私自身、創作物はできないですが、こうやって「出雲霞」の物語を語り継ぎ、残していきたいなと思っています。これからのネットの海に漂い続ける、「出雲霞」を楽しみにしています。