ゆるりわんわんお

2019年以降は主ににじさんじのおすすめ配信を記録しています。

「出雲霞」物語の終わり、そして引退。物語とライバーとの狭間で。

続きとしてこちらの記事を書きました。彼女の「後がたり」配信を持って物語は完成したと思うので、ぜひとも後がたり配信もみてほしいです。
tatami571.hatenablog.com

10月13日は出雲霞のお誕生日🎂【出雲霞/にじさんじ

10月13日は出雲霞のお誕生日🎂【出雲霞/にじさんじ】
2020年10月13日、「出雲霞」、オリジナルの20歳の誕生日に、彼女はProjectの終了、「出雲霞」のにじさんじの引退を発表しました。彼女が配信中に語った理由はPANORAさんが文字起こしをしてくれているので、配信とともにぜひともご確認ください。
panora.tokyo

私自身の気持ちとしては下記のかのはらさんという方が言葉にしていたことがズバリです。


かのはらさんは、今は記事を非公開にしてしまっていますが、2018年の特にリアルタイムで物語が進んでいた霞ちゃんと勝くんのストーリについて非常に詳しく追っていて記事をかいてくださっていた方で、私もかのはらさんの記事を見て、ちょうど2年前の10月13日の霞ちゃんの誕生日のときに合わせておなえのストーリーを追った身でした。私自身は劇場型のリアルタイムで紡ぐ物語を終えたことに対する拍手と、配信者として大好きな霞ちゃんがやめてしまうということに対する寂しさで感情が本当にぐっちゃぐちゃです。配信中のコメント欄も、彼女の性質からどこか覚悟していたところはあり、彼女の選択を尊重、理解し、「うん」「そっか」というコメントで溢れていたことがとても印象的でした。

今回の引退に合わせた言葉はVTtuberのひとつの終わり方として非常に話題になっていますが、以下では私の視点での、彼女の物語を、ライバーとしての人生を振り返ってみます。注意事項として、物語に関して私の理解が足りていない部分がたくさんあるため、そこの解説、考察はしません。またどうしてもメタ寄りの話が入ってしまうため、嫌な方は見ないでください。

劇場型配信、リアルタイムで進行する作為の物語

www.moguravr.com


霞ちゃん、勝くんといえば、リアルタイムに視聴者を当事者にして、物語の一部として組み込んでしまう劇場型の配信者として活動していました。たまごまごさんの記事がソレに詳しいので、ご参照ください。劇場配信型は、生配信見ているにも関わらず、物語を内包して、どこまでが演技で、なにか本当でなにか嘘なのか、虚構と現実の境目がわからなくなる、唯一無二の不思議な感覚が得られます。リアルタイムで、我々と会話しながら進んでいく物語を見るのは本当に素晴らしい体験でした。霞ちゃんの物語については、彼女自身が出している「出雲霞の物語について」を聞くと彼女の物語の概略がわかります。結構配信だけを追っていると難しい側面もあるので、今回のことで霞ちゃん物語が気になった方は、まずここから概要を掴んでもよいかと思います。私自身、見直す上でこの配信を見ながら本編を確認していました。非公式Wikiのおなえどし組のところに本編の時系列を参照しながら、たまごまごさんの再生リストを見ると勝くん、黛くんを含めた2324systemにまつわる該当部分を見ると楽しみやすいかなと思います。

出雲霞の物語について【にじさんじ/出雲霞】

出雲霞の物語について【にじさんじ/出雲霞】
wikiwiki.jp
www.youtube.com
特に個人的に好きなのは初めてリアルタイムでストーリを追った2年前の誕生日では、SEEDsのみんなに祝ってもらいながらも、最後はおなえの3人になって、そこで自分はAIであることを告白するという、他の活動しているライバーを巻き込んでの劇場型配信をリアルタイムで見ていて、すげえ、こうやってリアルタイムで、作為の物語が進んでいくんだ!とめちゃくちゃ感動しました。視聴者を巻き込んだというところでいくと、クライマックスのひとつである、15話~no title.ⅱはすごかった。YouTubeの投票投票機能を使って、ライバーである05と暴走した01のどちらがが本物を選択させ、01の処遇として心と体、どちらを残すかをリスナー自身に物語を選ばせることをやりました。リスナー自体を共犯者にして、リアルタイムでリスナーをストーリーに組み込んでいくこの流れは、ゾクゾクしたことを今でも覚えています。このエピソードは下記の記事でたまごまごさんがより詳しく語っています。
www.moguravr.com
 ストーリーとしては2019年の5月、1周年直前で一区切りを迎えます。AIの05は現実の「出雲霞」の演算機能として生きることを決めることで、一度終焉を迎えます。ただし一方で配信活動を続けることもリスナーと約束していたため、結果として05のコピーを生み出し、配信活動を続けていくことにしました。今から考えると彼女は、1周年目前で「物語」を、出雲霞の配信活動も終わらせることを考えていたのかもしれません。このように「出雲霞」はリアルタイムで配信をしながらも、あくまでも物語の登場人物、創作物としての一面が強い、稀有なライバーでした。
追記:おなえの物語については下記の方のまとめが非常に素晴らしいのでぜひ御覧ください。
にじさんじの「おなえどし組」が配信で展開してるストーリーの2019年8月3日時点での個人の解釈です!... - RYUABETES
OD組周辺ストーリーまとめの続きです。 ... - RYUABETES
霞ちゃんのストーリーのまとめラストです。 ... - RYUABETES

ライバーとしての在り方と物語としての在り方

通常の生配信活動は「出雲霞」がやっていたような狙って作った「作為の物語」と対極にある実在性が強い「不作為の物語」です。特ににじさんじは「どうしようもなく今を生きている」側面が強く、どうなるかわからないところが魅力でもあります。ライバー自身今までとこれからの物語もそうですし、委員長を始めとして「公式設定」から逸脱するギャップそのものが魅力になっているライバーも多くいます。そうすると一方で、今回の霞ちゃんが配信者として活動を終了する理由の一つにもなっていると思いますが、生配信を通してアンコントロールな事象が起きて、自身のキャラクタ性を守るということがどうしても難しくなっています。もちろん中には自身のロールを貫き通している有栖ちゃんや、あるいは尊様みたいやりたいことをやりながらも鬼のイメージを保ったような人もいます。特に霞ちゃんが思い悩んでいたと感じたのは、やはり「AI,声がかわりました!」という配信でしょうか。彼女自身が描いていた「出雲霞」像に対して、「キレキャラ」扱いされたことは彼女の中ではやはり許せないものではあったのでしょう。ちなみに彼女には申し訳ないが私自身は、そうやって配信者としての霞ちゃんがコウとかに起こっている姿好きで、この配信を聞いたときはごめんなさいでした…声がメインでもあるライバー活動において非常にリスクのある選択をとってでも彼女の中で守りたい「出雲霞」があったのかなと、今回の理由を聞いてより強く思いました。実際、今は閉じているアーカイブのコメント欄でもかなりの否定的な意見を受けていたようです。ただその次の配信「Postlude.F」では、今が05のコピーであり、どんどんオリジナルと離れていくことを触れながら、

「「声」だけで失望されるなら「人格」が「複製」の私は最初から出雲霞じゃなかったこと?」

ということをリスナーたちに問いかけてきました。しかも最後にcaseそれぞれの声も重ねることで人格と声って何?とさらに畳み掛けました。おそらく声帯変更についてファンでありながら否定的な意見を言ったリスナーは、もちろん誹謗中傷じゃない限りは否定的な意見は自由だと思っていますが、非常に肝が冷えたといいますか、やってしまった、と思った人は多かったんじゃないでしょうか。自分自身を守るためにも声帯変更したことがファーストにあったのでしょうが、それを利用してリスナーを巻き込んだ物語にする発想は本当にすごかった。ただこのように非常にそこのギャップで苦しんでいた印象はあります。

AI、声変わりしました!【出雲霞/にじさんじ

AI、声変わりしました!【出雲霞/にじさんじ】

Postlude.F【出雲霞/にじさんじ

Postlude.F【出雲霞/にじさんじ】

鈴木勝は物語を終わらせ次へ進むことを選び、出雲霞は出雲霞として物語を終わらせることを選んだ

初めにいっておくと、勝くんと霞ちゃんの選択、どちらが良い悪いではなくて、それぞれが己のアイデンティティと掛けて悩み抜いた末の結論であり、どちらの選択もとても尊いものだと思っています。その上で見てください。
 同じ劇場型配信をやっていた勝くんは、2019年3月31日に「鈴木勝」の物語を完結をしつつも、バーチャルの13歳の鈴木勝、ライバーとして「ご都合主義の奇跡」を使ってでも残る決意をしました。Final episodeの「泡沫」は本当に物語の終わりとしてきれいで、そして新たな彼の一歩としても素晴らしいものなのでぜひとも見てください。そしてそれがよかったら、彼の「鈴木勝になる物語」を初めから見ていいただければと思います。

Final episode「泡沫」

Final episode「泡沫」
www.youtube.com

そこではこれからアイデンティティを探す、という発言もしています。彼自身は配信者活動を続け、「RainDrops」でメジャーデビューも果たし、一つの節目である10万人も達成して、バーチャルの中の鈴木勝として新たな道を確実に歩みだしています。
 一方で霞ちゃんは、一度はCase05のコピーという形でで配信者活動を続けていましたが、今回、物語の終了とともに配信者活動も引退を決意しました。彼女の中で、物語が節目を迎えてからのこの1年間は、クリエーターとしてきれいに物語を、出雲霞を出雲霞のまま終わらせる選択をするか、それとも、ライバーとして、今の楽しい時間を、自分の「出雲霞」と乖離していくのを許容してでも続けていくかを本当に悩んだのかなと思っています。そもそも下記のTweetにあるように、10万人を達成したときのセリフとして、最終目標、としていることから、最初は物語をやりきったら終わるつもりだったのかなとも受け取れます。そうしてライバー続けて、参加したポケモン大会ではボスラッシュを次々に勝ち抜き、盟友でもあり、ポケモントレーナーとしては大きな存在であったコウをも倒し準優勝を果たしました。そのときは間違いなく主役の一人でした。


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またおそらく最後の手向けのひとつとして実施した、先日カレーコラボなんかは本当に楽しそうにやっていましたし、SEEDsのことが大好きなんだなということが伝わってきました。最近よく雑談を聞いていたんですが、結構霞ちゃん自身の好みの話とかが、ロリ好きであることを全然隠していなく、ある種吹っ切れたようなところも見受けれられ、私としてはそうやって新たな一面が見れることが楽しかったのは事実です。

【オフコラボ】みんなでカレー!!!!🍀🍛【#にじ種1期カレー集会】

【オフコラボ】みんなでカレー!!!!🍀🍛【#にじ種1期カレー集会】
しかし繰り返しになりますが、そうやってライバーとして新たな一面をだすということは、自身が描いていた「出雲霞」からは乖離することであり、やはり彼女にとって、「出雲霞」が「出雲霞」であり続けることが何よりも大切であり、アイデンティティであったがゆえに、

「出雲霞は出雲霞のママ、私が私のまま、一番、一番私が胸を張って私だって言える今のまま、出雲霞の時間を止めたい」

と決断したんでしょう。あれだけ楽しい空間を共有してもなお、彼女は「出雲霞」として終えるために決断したということは本当にすごく、そして美しい矜持だと思います。今回の終わり方の言葉をとっても創作者として美しい終わり方と言っている方がたくさんいらっしゃいましたが、本当にすごい葛藤をした、いろいろなものを天秤にかけた上での決断であったゆえの美しさであることを知ってほしいなと思っています。なお余談ですが、このリリちゃんとの一連の流れがあまりにも美しすぎるなと思いました。こんな漫画の中でしか無いセリフをこんな完璧な流れで使えるんか…ずるいわ…


最後に、私自身、出雲霞が創る物語や、あるいはライバーとしての霞ちゃんが大好きでした。特にやっぱり私の中でにじさんじSEEDs1期生は特別で、おなえどしの中学生感は大好きでした。初のグループでのリアイベもいって霞ちゃんとおしゃべりさせていただいたこともありました。なので冒頭にも合ったように物語が終わって嬉しさもあり、決断を尊重する一方で、やっぱりとてもとても寂しい思いはあります。OTN組も本当に大好きだったのにいなくなってしまって、おなえどしもなくなってしまうのは結構来るものがあります。
panora.tokyo
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今回、出雲霞さんとしては引退してしまいますが、またどこか、もしかしたら20歳の出雲霞さんの姿が見れたり、あるいは別の創作者のとしてどこかで会えたらいいなと思います。約2年間、楽しい思い出をありがとうございました。